プロフィール/はじめまして!Goです。

はじめまして!

Goです。

「Way to Go!」をご覧いただきまして、ありがとうございます。

当サイトでは旅好きである株式会社ハイファイヴのメンバーが今までの経験や新しい発見をもとに情報発信をしています。

私自身、旅や留学を通して、本当に多くの経験や出会いをしてきました。

そんな私ですが、そもそも誰かわからない人も多いと思いますので、自己紹介させてください!

少々長めですが、生い立ちをお楽しみください。

生まれてすぐに海外生活!

私、「Go」は愛知県一宮市で生まれ、東京都町田市で育ちました。

ところが、父親の仕事の都合で、生まれてしばらくして数年間ニューヨークに移り住ことに。今はなき貿易センタービルやハーバード大学、ディズニーリゾートなど、アメリカを中心にカナダの観光地なども訪れたそうですが、当然幼い私の記憶には残ることもなかったです。

言葉をまともに話せる年齢でもなかったため、この頃に覚えていることといえば、幼稚園でおもちゃのカゴに指が挟まれて、みんなに置いてきぼりにされたことくらい。笑 トラウマっぽい思い出だけは記憶として残りやすいものです。

父親のニューヨークでの仕事も終わり、2〜3年で東京へ戻ります。

日本での青春と自分探し

それから小中高と、青春ドラマのような学生時代を過ごします。

このときは人に恵まれすぎていたかもしれません。

とはいっても高校卒業と同時に、終盤は日本での生活に少し物足りなさを感じつつ過ごしていました。

そして、気づけば東京の大学へ進学。それなりの大学生活を送っていたのですが、そこでも海外生活への憧れと自分の日常とのギャップを感じ、自分を完全に見失っていました。

「なぜ自分は生きているのだろう」そう感じながら生きていた気がします。

大学の勉強の意味を見出せず、将来への漠然とした不安を抱いていたのかもしれません。

そんな自分に追い討ちをかけるような事件が起こりました。

失恋です。

今振り返れば全くもって大したことではないのですが、20そこらの若造には一大事だったわけですね。

失恋を機に自分の人生に対して真剣に向き合うこととなりました。

それからというもの、自分を変える決心をしました。

ありがちな話ですね。

そして、昔から抱いていた海外生活を実現するために模索し始めました。もともと幼少時代にアメリカに住んでいましたが、若すぎたため言語面で特に恩恵を受けたわけではありません。ただ、心の隅にはアメリカ文化による影響が強く残っていたため、いつかは必ず「戻りたい」という気持ちがあったのだと思います。

とにかく、この時期は「自分探し」に夢中でした。

そんな中、大学を中退し、海外留学を決心したのでした。

ハワイでの大学生活

留学を決めてからは東京の大学へ退学届を提出し、ハワイ大学へ入学願書を提出。ハワイを選んだ理由は、中学時代からハワイの現地の学生と交流が深かったため、いつか海外で暮らすなら「ハワイで!」と思っていたからです。

ハワイへの留学を決めてから半年後には移り住み、現地の大学の授業を受けていました。

大学生活中は大学内でというよりも、現地のキリスト教の教会の仲間と遊ぶことが多かったです。

その時にも自分の人生の意味を必死に追い続け、熱心に教会に通っていました。

本当に仲間に恵まれた大学生活でした。

留学では、観光と違い学生という立場で、現地の多くの人に助けられ、日本ではできない数多くの経験をしました。在外中にはハワイ州観光局にてインターンをし、よりハワイについての知識を深めたこともあります。本当に貴重な4年間でした。

また、ハワイ在学中には2ヶ月ほど、ヨーロッパを1人バックパック一つで約10か国ほど放浪したこともあります。今まで旅した国は20カ国。それでもハワイは格段に素晴らしく、私の人生の大きな軸がここで作られました。

大好きなハワイを去る決心を…

留学中はとにかくハワイ(というかハワイの人々)が好きになり過ぎて、そして、閉鎖的だと思っていた日本が嫌いになりそうな自分がいました。

ハワイの居心地が良すぎて、日本はつまらないと、勝手に決め付けていたのです。

そんな中、海外の人は自国の文化や歴史を誇らしげに語るのに、自分は日本人なのに日本について何も知らないと感じてしまったのです。

もともと、ハワイで就職するつもりでいた私ですが、日本で就職してもっと日本を知りたいと感じるようになりました。

そこでダメならまたハワイに戻ればいいと。

そして、日本での就職も決まり、帰国

「知らない日本」を知った社会人生活

帰国してからは東京の目黒にある不動産会社に就職

不動産営業から経営企画・新規事業・人事採用など本当にたくさんの経験をさせてもらった。

新卒で入社してもここまでやらせてもらえる経験などないというくらいに

そして、僕は旅好きということもあり、新規事業として以前から興味があった宿泊事業の運営をすることに。

そこでたまたま縁があったのが、伊豆

海や山など自然がとにかく豊かな土地です。

温泉も豊富です。

そんな地で収容人数50人ほどの宿泊施設を運営することに。

目黒と伊豆を行き来しながら、東京やハワイのような比較的大きな都市でしか住んだことがなかった私にはいろんなことが衝撃的でした。

というのも、自然は豊かなのですが、で歩けば必ずといっていいほど目にするのが「空き家」

しかもかなりボロボロで、でもどこかもうそれが当たり前という雰囲気さえでている。

さらに、20代の人と出会おうものなら、ほとんどの人は東京に行ったというのが当たり前。

ニュースでみていた、「人口減少」、「少子高齢化」、「空き家問題」が今まさに目の前で起きているということを肌で感じたのです。

ここからさらにこうした問題が加速していくのかと考えた時に、自分に何か少しでも、できることがないのかと考えるようになりました。

独立、起業へ!

その答えの一つが起業だったのかもしれません。

前々から、起業はしようと思ってはいたものの、どのジャンルでなどは特に絞れていなかった。

ただ、少しずつ日本の良さや日本の課題に触れることで、海外の前に、まず自分が日本でできることが少なからずあるんじゃないかと感じ始めたのです。

そんな時、学生時代に読んだ一冊の本を読み返し、そこに書いてあることばが、僕の背中を後押ししてくれました。

その本とは司馬遼太郎が書いた「竜馬がゆく」。

その中の

「世に生を得るは事を成すにあり」

という、言葉を知った時、

「自分はこの世に生まれて、何ができるのだろう。」

と真剣に考え始めるように。

それから自分の今までを振り返る機会が多くなりました。

すると、ある一つのことに気がついたのです。

「自分が幸せだった瞬間には、常に周りに大切な仲間と時間を共有していた」

ということ。

そして、そんな人生を歩み続けたいと本気で思えるように。

まずは自分がいきいきとした人生を送りたい。

そして、他の人ともそんな人生を共有したい。

そう想い会社を設立

「世の中によりたくさんのハイファイヴを!」

という理念のもと、令和1年11月1日、株式会社ハイファイヴを設立。

ハイファイヴ、それは日本語で言うハイタッチ。

ハイファイヴほど人が喜びを表現する方法してわかりやすいものはない。

そして、より多くの人とそんなハイファイヴを増やしたい。

そう心から思うようになりました。

「旅」と「人」が僕の人生にくれたもの

独立してからは、もともとやっていた宿泊施設の運営を自社で行うことに。

不動産と言う別ジャンルの業界に入りながらも、心のどこかで、旅好きな部分がでていたのでしょう。

本当に多くの旅を通して、本当に多くの出会いを経験しました。

その出会いが、自分の人生を豊かにしてくれた。

だから次は、自分が旅を通じて、人々の役に立てれば、こんなに嬉しいことはない。

このサイト「Way to Go!」では、そんな想いをもって運営しています。

旅、移住、留学など、人々が動くことによって新しい出会いが生まれる。

こんなにも素敵なことはありません。

そして、そんな出会いをより多くのひとに!

Go